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作文 全日本一輪車マラソン
14回
川崎 勝年、小野 貞衛、中川 留衣、 斉藤 早春(サハル)
石腰 早紀、川口 清見、川口さちこ、西ケ谷 春菜
小川 廣
13回小野 貞衛

第14回全日本一輪車マラソン 1999.5.4

「初めてガッツポーズでゴール」 川崎 勝年清水ドリームサイクル 42.195km ・ 24インチ ・ 2時間38分34秒 ・ 完走14回

今年は前回より練習走行が出来ました。
正直言って、昨年のタイムより良い結果を出すつもりでスタート位置に着いた。出発は、後部(自分)で 前の走者に大きな声で注意をしていた。ピストルの号砲より7.8秒おくれてスタート。前回まではスタート直後200〜300mまで追い越しやら、蛇行が多くあったが、今回は何の不安もなかった。よし、今回は初めから林さんに付いていけ。(自分に言い聞かせて)10分位ついていったかな?。早くて、とてもついていけない。
南ポスト通過。林さんはかなり前にいる。名古屋の中学生(女子)と並ぶ。林さんについていかなけゃ駄目じゃん。と言ったところ、林先生はすごく練習をしたから、私達はとてもついて行けないとの事。やっぱり林さんだけの事はある。自分も納得する。だんだん離されていくのが目に見えて判る。あの速さでは自分は20kmもたないでしょう。ま、自分なりに走っていこう。北ポスト通過。
多数の選手の表情がいつもと違っている。(あとで判った事だが、風の影響をかなり受けていた模様)本部前でレモンを貰い損ねて転倒。前方には大勢の見学者と父母が応援している。慌てずに落ち着いて乗車する(したつもり)も内心は、はらはらだった。本部前は何もなかった顔をして通過。渡辺会長に今回は転倒者が多数いることを伝える。このあたりから風を多少感じるがあまり影響はなかった。
給水所で飲む水の美味しさは、風呂あがりのビールより美味しい。ほんとです。前半の20kmは無事通過。苦しい後半であるが、いつも痛む膝が前回は何の障害もなかったのに、今回はもう痛みが出ている。完走までひどくならなければいいが。2度目の南ポスト通過時、あの林さんを捕らえられる距離にいる。ここで美味しい水をいただき、よし、ガンバロウー。一向に近づかないまま北ポストへ。しかし、林さんが折り返してこない。ポストの向こうに林さんが見えた。ポストをUターン出来ずに乗車に手間取っている様だ。その位置で乗車したら自分のUターンと接触してしまう。とっさに林さん、ちょっと待って。と声が出てしまった。自分は無事通過出来たが林さんに悪いことしてしまったな。(声を出さなかったら二人とも転倒していたかも?)
ここまでくれば、後、5.5kmだ。自分も風の影響を受けていたのか、前回の記録を更新出来そうもない。膝の痛みが心配になる。があと20分ちょっとでゴールできる。ガンバレ。自分にではなく膝に声を掛けた。ハンパポストで貰う緑のタスキ、これを貰うために走っているようなものです。いつも疲れなのか左手では受け取れない。右手でもらえる様、係員に移動してもらう。やっとゴールだ。いつも時計を見るが、今回は拳をあげてゴールした。いままで一度も勝てなかった身近な選手を三人も抜くことが出来ました。


追伸
いろいろお世話になりました。14回大会で気づいたことがいくつかありました。
〇 今回は、転倒者が多くありました。技量不足によるクランク短すぎ。強風のためばかりとは思えません。

〇 転倒後、治療を受けている者を数人見かけた。いままでの大会で走行途中に治療を受けた者を見かけたことは無かった。中学生でも転倒時うずくまって泣いている者も居ました。

〇スタート時(24インチ)はいつもよりスムースだったと思う。いつもスタートは(自分)は後部のため、前方が良く見える。今回はピストルが鳴ってから(自分のことで恐縮)「まだ、まだ、」と大きな声で注意をしていた。前走者が移動してからスタート出来た者が多くいました。自分より後者は判りませんが。
競技終了後、「川崎さんの声が聞こえ、あわてずにスタート出来た」と言ってくれた者もいました。(良かったかな?)大きく半回転した者にはビックリしました。

〇フル20インチのスタートは転倒者への巻き込まれがかなりあったと聞きましたが ?。また、走路を走らず、草むらを追い越して走り去った者もあった様です。その場で係員より注意を受けたそうです。

〇フル20インチのスタートは前年度の20kmの成績順に並べて欲しいとの要望が多くありました。

〇その他として。1.冠着橋は交通量が増えてきている。選手の中でブレーキを掛けた(タイミングが悪く)者が居たようだ。

第14回全日本一輪車マラソン 1999.5.4


「21世紀に残すもの〜もうすぐこの子達の時代が来る
小野 貞衛 湘南支部 ・ 42.195km ・ 24インチ・ 2時間35分07秒 ・ 完走11回
小野 貞衛
42.195km
完走11回
1999


写真は1998
10回完走のゴール前

強風・雨と大変な大会でしたけど、関係者の皆様ありがとうございました。また、コース警備をされた皆さんには本当に感謝しています。走る選手以上に疲れた事と思います。
今回の大会は、私自身二つの大きな目標がありました。一つは、初参加(ハーフ6名)・フル初挑戦2名と経験の少ない子供達の完走です。充分に練習はさせ、距離への不安は無いようにしてあり自信はあったが、当日の天候を見て多少の不安があったのも確かでした。
でも、子供達は強かった。記録こそ全国レベルと比較してみるとそれほどでもないけど、これまでの経験・練習実績・当日の天候から見て,全ての力を出したと思われます。
今回、私なりにこの子達の胸のうちを理解したくて作文を書いて貰いました。読んで見て、久しぶりに感動しました。幼心にも次への目標を見つけ確実に成長していることが良く分かりました。
親への愛情・仲間の励まし・自分との葛藤・成し遂げた喜びなど、日常生活ではとても体験できない事が、純粋に書かれていると思いました。
このような体験の機会を与えて下さった「第14回全日本一輪車マラソン」に感謝すると共に、主催してくれた関係者の皆様方に、心よりお礼申し上げます。有り難うございました。私の1番の目標は、十分に達成です。

次の課題は自分の事です。
練習段階で1分/10kmの遅れは感じていました。遅くなっても気持ちだけは、すっきりゴールをしたいのが、第2の目標でした。(タイムも良ければ最高)結果から報告します。身も心もボロボロになることなくゴールできました。強い風と後半の雨で温度上昇が少なかったので、筋肉の疲れは有りましたが体内疲労(表現が適切か不明)は少なかった、記録は予想した通り5分遅れ。しかし、落車が1回、降車は0と別な点から評価すると上出来だった。私の2番目の目標もほぼ達成。

来年度に向けて
また走りたいと言う子供達に、今年以上の感動を体験させられるように頑張りたい。
参加するからには前向きに向上心を失わず自己ベストを目指す。
全日本一輪車マラソン・長野を21世紀に引き継ぎたい。
平成11年5月14日

第14回全日本一輪車マラソン 1999.5.4


「私の長野」 中川 留衣 和歌山・ 中1 ・42.195km、完走3回
24インチ・1時間51分30秒・大会新記録

 4年生の時、ハーフマラソンに出た。北ポストを回って南ポストまですごく長かった。「いつ着くのかなぁ」と考えたことを覚えています。 次の年からいよいよフルマラソン。去年の倍。ハラハラドキドキ25km位になると、足がバーンとはってシンドイ。こけてサドルが曲がったまま走ったり、いろんなアクシデントがあったりしたけど、スタッフ、本部、同じクラブの人達そして、全然知らない人達も、「ガンバレ」と応援してくれる。それを聞いて、またがんばれる。他とは違う大会。だから、私は、マラソンがすきだ!
夢は、ビックホイールに乗ること。これからも、自分なりにがんばっていきたい。

第14回全日本一輪車マラソン 1999.5.4


斉藤 早春(サハル)湘南支部 ・ 小642.195km ・ 20インチ ・ 2時間49分02秒 ・ 完走1回

ドキドキしながらスタート位置についた。お母さんのかたをかりた。スタート30秒前位になって42.195km走れるか不安になってきた。でもお母さんが私の手をとり、あったかい手で強くにぎってくれた。私は不安な気持ちとお母さんのやさしさで涙が出てきた。そしてスタートの合図が出た。まだ涙が止まらなかった。チームの仲間達の声が聞こえた。がんばらなくっちゃと思った。
走り出して何分たっただろうか。やっと折り返してきた人とすれちがった。あともう少し行けば折り返しだと思った。でもいくら行っても折り返し地点に着かない。不安になった。泣きそうになった。でもがんばった。
やっと折り返し地点まで来た。安心のいろがかくせなかった。一生けんめい前の人についていった。しばらく行って大げさにころんだ。いたかった。でもそんなこと関係なかった。ドンドン行くとたくさんの人が見えてきた。お母さん達の応援してくれている声が聞こえた。カッコつけてみんなと目を合わせなかった。後半のコースは少し短かい。でも油断はしなかった。うしろからみんながドンドンせめてくる。折り返しだ。折り返してガンバッて走った。でもうまくすすめない。向かい風だ。キズ口がすごくいたむ。私はお守りを強くにぎった。お母さんが42.195km走れるように神社でお守りを買ってきたくれたのだ。お母さんがついてると自分に言いきかせて、ズット走った。

また大ぜいの人が見えた。お母さんが見えない。だから早く顔が見たくて一生けんめい走った。お母さんだ「早春ガンバレ〜」とゆう大きい声が聞こえた。私のチームのお母さん達も応援してくれている。残り1周だ。20kmのチームの仲間と次々と会った。声をかけあって元気をためた。またガンバらなくちゃと思った。立ってる人にがんばれと言われて足が勝手に早くなった。
折り返し地点が見えた。折り返して追い風だからもうめちゃとばした。どんどん息が切れてきてのどがからからだ。給水所が見える。早く水がのみたいいっしんでまだまだきょりがあるのに手を上げた。給水所の人が水を持って私を待っている。そして水を手にした。水をガブガブと飲んだ。オ〜生きかえったぁと感じた。元気になって私はまた飛ばした。前の人にどんどんおいついた。そしてぬかした。そのぬかした快感はなんとも言えない。
そんなことを思っている間に本部の近くまで来ていた。よし。私はガンバッテこいだ。給水所発見。手を上げて水をもらった。お母さんが見えた。私のことをジーッと見ている。私はまたカッコつけて目を合わせなかった。「ガンバレーもう少しだよ」お母さんの声だ。私はうれしくて涙がこぼれた。後半がんばって折り返して向い風だけどがんばった。お守りをにぎって向い風に負けずにこいでこいでこいだ。また本部近くまで来た。お母さんより先にチームの仲間が応援してくれていた。お母さんの声も聞こえた。ガンバッた。
はんぱコースの折り返しだ。緑のリボンのたすきだ。たすきをもらってラストスパートをかけた。もうすぐゴールだ。最後の力をふりしぼってゴールした。
感動と安心とお母さんの顔を見て大つぶの涙がたくさんこぼれた。そしてすぐお母さんにだきついた。お母さんがやさしい声で「よくがんばったじゃん」と言ってくれた。またしまったはずの涙があふれ出てきた。ずっとお母さんにだきついていたかったけど仲間も近くによってきてほめてくれた。
走りきってすごく大切なことに気づいた。何ごともあきらめないことが大切なんだなぁって走りきれてすごくよかったと思う。きっと一生に一度の42.195kmだからズット心の中に残ると思った。

第14回全日本一輪車マラソン 1999.5.4


「ざんねん4位」 石腰 早紀 湘南支部 ・ 小6・42.195km ・ 20インチ・2時間21分49秒

私は、42.195kmに出た。長野マラソンに出るのは3回目だ。42.195kmは2回目だ。長野マラソンにそなえていっぱい練習をしてきた。だから、ベストのタイムで入ればいいやと思っていた。いよいよスタートだ。
スタート前は足ががくがくしていたけど、スタートしたらがくがくがおさまった。はじめのほうは、1グループについていったけどだんだんはなれてしまった。だが、いつも練習してきたペースで走った。2周目に入ってから3位の子においついた。そしてぬかした。私は3位になった。でも、4位とのさは、あまりなかった。だからあと少しになったらぬかされるかなあと思っていたらほんとにそうだった。あと少しというところでおいつかれてぬかされてしまった。私はくやしいと思い、ぬかそうとしたが足が思うように動いてくれなかった。もっと動け、気持ちに足がついていかない。もっと速く、もっと速くと思い走って居たら、ゴールしてしまった。走り終わってからくやしいという思いだけが残ってしまった。なんで3位に入れなかったんだろう。もっとがんばれば良かった。そんな事が私の疲れた頭の中をグルグルと回っていた。表彰式に出た。やっぱり4位だった。
3位に入りたかったなあ。「ざんねん4位」このくやしさを忘れずに、また来年練習してこの長野マラソンに参加し自分自身に満足できるゴールをしたいです。

第14回全日本一輪車マラソン 1999.5.4


「初めてなのにすごくがんばったと思います」
川口 清見 湘南支部 ・ 小5・20km ・ 20インチ・1時間33分24秒

私は、長野マラソンに出ました。最初はきんちょうしていたけど、走る順番きて、きんちょうするのがきえた。私はお母さんと妹といっしょに長野まできました。私達の前に走った人はフルの人達が先に走りました。それから24インチの男の子と女の子が走っていきました。それから20インチの男の子、女の子が走ります。わたしの一輪車は20インチなので20kmの20インチの女の子の所で走りました。わたしのぜっけんの番号は166番でした。妹は168番でした。わたしは、コース1は短かったけど、コース2は長かった。
私は、「早く白いコーンはまだかな」と思いながらコース2を走りました。コース1はちょっと走ったら白いコーンがありました。わたしは10人ぐらいぬかしました。コース1を全部走ったのでコース2に行きました。長いコースは、まだ、男の子が2人走って居ました。その男の子も抜かしました。1人の男の子は、私においつこうと思って走ってきたけど、もう1人はつかれそうに走っていた。だんだん風が強くなってきて、わたしもつかれてきて、かるく走っていたら妹がわたしの前を走っていた。妹は、お水を飲んだけど、わたしはずっと水を飲まないで走っていました。
わたしと妹と、あと2年生ぐらいの女の子がいて、さっちゃん(妹)とあらそっていました。そこへ、私がはいっていて3人であらそっていました。でも、一番前は、さっちゃんだった。その次に2年生ぐらいの女の子、三番に私が居ました。わたし達が坂をおりていたら後から女の子が1人きてわたし達のほうへきて、わたしをおいこして、さっちゃんたちの方へ走って行きました。その子はさっちゃん達の方へ行って、さっちゃんの後についていました。そして、私はゴールの近くにきたらスピードをあげてゴールまでいきました。
そして、わたしは、女の子2人をぬかして、さっちゃんの後を走った。そしてゴールをした。わたしは36位でした。私のタイムは1時間33分24秒でした。さっちゃんのタイムは、1時間33分22秒でした。だから、私と、さっちゃんとさわ2秒のさでした。
わたしとさっちゃんのお友達は、25位、18位、19位でした。1人お友達がいます。24インチの20kmを走った子がいます。その子は8位でした。フルマラソンにも2人います。1人は、女の子20インチで4位でした。もう1人は男の子、その子は12位でした。みんな、いっしょうけんめいがんばりました。
わたしは初めてマラソンにでました。最期にTシャツとしょうじょうの紙をもらいました。初めてなのにすごくがんばれたと思います。帰りに一回とまったりょかんへまたいって温せんに入ってから帰りました。と中でごはんを食べたり、おみやげをかって帰りました

第14回全日本一輪車マラソン 1999.5.4


「長野大会」 川口さちこ 湘南支部 ・ 小4・20km 20インチ・1時間33分22秒

はじめて20kmを走るのでとってもきんちょうしました。でも走りだしたらきんちょうもなくなりました。わたしより小さな子に抜かされましたが2人抜きました。走っているとき、もものところがいたくなりスピードがおちてまたぬかされましたが、またぬきました。とってもうれしかった。ゴール近くになったらうしろからわたしのおねえちゃんがスピードをあげてきたのでぬかされないようにわたしもスピードをあげてゴールしました。わたしは35位に入りました。20kmかんそうできてとってもうれしかったです。

第14回全日本一輪車マラソン 1999.5.4


「長野一輪車マラソン感想文」 西ケ谷 春菜 湘南支部 ・ 小4・20km 20インチ・1時間22分49秒

今年、はじめて、長野で20kmマラソンをはしりました。1回こけちゃったけど、自分では、せいいっぱい力を、だしきったと思うから、よかったと、思います。本番は、雨がふる前にスタートして、ゴールも、雨がふる前にできてよかったけど、42.195kmをはしった人はぬれちゃってたいへんだったと思います。でも、わたしは、今までの中で、一番タイムがよかったので、うれしいです。らい年は42.195kmをはしりたいです。今度は、一回もころばないように、がんばりたいです。

第14回全日本一輪車マラソン 1999.5.4


「長野大会」 樋田 歩美 湘南支部 ・ 小4・20km 20インチ・1時間26分21秒

わたしは、長野の大会にはじめてでとってもおもしろかったです。まえの日は、朝6時ごろでたので、すごくねむかったです。でもバスの中で、あそんだりしゃべったりしているうちに目がさめました。行くまでにバスのっている時間が5時間いじようあったので少したいくつでした。たいかいの日は、おきたときに、もうきんちょうしていました。でも大会の時間になったら、ならんでいる時間が5分くらいありました。そのときはもう足が、がくがくでした。雨は少しふっていたしかぜは、とってもつよかったです。
20km女子は53人の多人数でしたがわたしは25いでした。来年は42.195kmにちょうせんしてみたいと思います。

第14回全日本一輪車マラソン 1999.5.4


「10回完走だ」小川 廣 清水ドリームサイクル 24インチ・42.195km 完走10回

拝啓、年の瀬を迎え、さぞお忙しい日々かと思います。私、遅れ馳せながら第14回全日本一輪車マラソン大会にはお世話になりありがとうございました。第14回大会を走り終え10回完走証と記念品をいただき興奮さめやらぬ内にお礼の手紙をと思いつつ年末になってしまいました。大会報道のコピーを送っていただき重ね重ねありがとうございました。
思えば初めて長野に来たのは第4回大会、娘と2人20kmに参加、川崎さんと連覇を目指す高木君の4人で来た千曲川は印象的でした。フルマラソンをゴールしてくる選手を見ながら来年は自分もきっとフルマラソンに参加するぞと心に誓う親子は最終走者まで応援していました。
一年後多くの仲間と一緒に練習を重ね、やって来た第5回大会、初めてのフルマラソン、雨はまだよかったのですが強風にはまいりました。今想えば、この大会を完走できた事は今回の10回連続完走につながったと思います。
フリークランクになって、自己記録の出た第11回大会、毎年スタートする時は今年こそ自己記録を出すぞと思って参加できる内は走り続けられると思います。そして何より子供達と練習する日々が楽しくやれる事が最高です。長距離の練習はもちろん苦しいものがありますが、それを打ち消す喜び感動があります。精神的には得るものが多いと思います。子供達は今は何かわからなくても、きっと何かを得てくれると信じ心身の成長を願っています。
今回、ゴールする時思わず「10回完走だ」と声に出して一輪車から降りると渡辺会長の娘さんが「10回完走お疲れさま」と声をかけてくれた感動的な10回目のゴールでした。
次々とゴールする選手に「完走お疲れさま」と一人一人に笑顔で声をかけてくれている光景に心暖まる想いでした。大会スタッフの御苦労は計りしれませんが、この大会に参加できる選手の一人として有難味を少しでも伝えることができればとお礼かたがたペンをとりました。それでは渡辺会長をはじめ大会スタッフ皆様の御活躍と御健勝をお祈りします。 敬具 1999.12.29着

第13回全日本一輪車マラソン 1998.5.4


「10回目の完走ありがとう」 小野 貞衛 湘南支部 24インチ・42.195km 完走10回

おかげさまで皆様の声援の力を借りまして無事10回目の完走ができました。 思えば13年前「なぜ走るのだろうか? 10回走ったら答えが出るかもしれない」だから10回完走を目標にしよう!。

今回は私にとって10回目の記念大会と言う事で、自己ベストを狙いました。11月よりクランクを替え、大会に望みました。
やまとクラブの練習会に参加させてもらい子供達と一緒にタイムを測定して頂き、父兄を忘れて選手になりきることができました。これもヤマトクラブのお陰と心より感謝しています。1.5km毎にラップを大きい声で叫び、月末には練習記録まで作成して頂きました。何より感謝しているのは、自分の子供が練習会に参加できなくてもタイムを測定してくださったやまとクラブの永田さんに対してです。10回目の記念大会を自己ベストでゴ―ルできたのも、永田さんを初めとするやまとクラブのお陰です。
これからも、やまとクラブとは力を合わせて子供達の成長を見守りたい。私は10回走ったら役員に回り大会に参加したいと決めていました。今まで走らせてもらった分だけお返ししようとおもっていました。しかし、岡山さん・自己ベストを出した川崎さん・林さんを見ると考えが揺れ動いています。止めようか、大会が開催される限り走ろうか、岡山さん・川崎さんが走る限り自分から止める訳にも行かないし・・・・。この結論が出るのはもう少しかかりそうです。

ここで10回を振り返って見たい。

第1回
無我夢中で走った。コ―スを見る余裕が無かった。ゴ―ルした瞬間じ―んときた。 3時間00分10秒だった、冷静になって考えたら10秒が悔しかった。

第2回
10秒が悔しくて正月から練習に明け暮れた。記録2時間53分、とても嬉しいゴ―ルだった。自分なりに努力の成果に乾杯した。

第3回
慣れない車を運転して参加。前夜咳がでて寝不足ぎみだった。同じように苦しんでいた小島葉子さんと給水所だけを頼りに走った。リタイヤを何度も考えたがゴ―ルができた。もし一人だったら、間違いなくリタイヤしていただろう。小島さんを励まし、自分に喝を入れた。小島葉子さんに感謝している。記録3時間05分。

第4回
体調維持管理の重要性をクラブの選手に指導し自分も心がけた。記録2時間56分。

第5回
自己ベストでの5回完走。記録2時間42分。 「輪にたわむれ 星霜 いざ 千曲にうたえ 若人の詩 山脈にとどけ 哲人の大志」

第6回
気力・体力・コンデイション最高。記録2時間42分だった。まだまだ伸びるもんだと自分を褒めていたが尊敬する岡山さん・須山さんが20分台と知らされた。それなら今度は30分台を目標にしようと決める。

第7回〜第9回 海外勤務中につき不参加
身は海外にあったが、5月4日の心は長野にありました。大会後の記録表を見るのが最大の楽しみで、学 ?、誠司 ?、友美子 ?、もちろん自分の子供のことも気になり送られてくる記録表を心待ちにしていました。

第10回
記念すべき10回大会、私にとって3年ぶりの大会と言う事で特別な思いで参加した記憶があります。この大会、帰国まもない私は、練習時間、走行距離とも過去最低でした、クランクを102mmに変更したのも完走の自信が無かったからです。それでも記録が3分程UPでき、目標の30分台に入れたのはクランクの効果でした。

第11回
前年より練習量は増えたし、クランクは102mm、記録を狙うぞ20分台。しかし、1分の短縮しかできなかった。これまでかな・・・・・・ それにしても顔ぶれが変わってきた。又、記録も凄い、2時間前後の選手がごろごろ。

第12回 初めて出来た無降車・無落車
2月の大阪大会に参加してぼろぼろになった。その後練習会でも「降りたい病」が20km過ぎから始まった。
サドル・ペダル・靴など知識の限りを尽くし試みたが克服できず長野マラソンに望んだ。途中なんども降りたくなったが大阪の二の舞いだけはしたくなくスピ―ドを落としたり、水を補給したりゴ―ルに向かい無降車・無落車ができた。記録2時間38分、平凡な記録だが自分にとっては納得出来た。久しぶりに弟子を連れていくが、それなりに走ってくれたのでひと安心。

第13回
私にとって記念すべき10回目。参加を決めたときから自分に一つの決心があった。自己ベストでゴ―ルしよう。結果、自己記録3分短縮、10回完走証を会長から頂いた時はものすごく嬉しかった。 弟子も2時間23分で、20インチ女子の部5位と初のフルながら練習成果を発揮してくれた。これで彼女も練習・努力すれば結果がついて来ることが理解出来たと思う。この大会私なりに様々な工夫をしました。4月1日より東京勤務になると夜練習が出来ないので、2月〜3月は6kmの工場勤務を自転車にしました。又休日前の深酒禁止など、今の自分に出来る事は実行しました。記録2時間35分、自己新記録
10回も走らせてもらって、今、自信をもって言える事は、一人では絶対にできなかった。家族、クラブの応援、励ましのお陰です。
人は誰かに支えられている。これからも色々な形でお世話になると思いますがよろしくお願いします。関係者の皆様方によろしくお伝えください。ありがとうございました。
平成10年6月6日記

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